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'82年東京生まれ早大卒。小心者の見栄っ張り。臆病者の命知らず。
'04年夏、カンボジアにて完全無防備、スコップのみを使用し地雷除去を敢行。
'05年はアフガニスタンにてアルカイダとニアピン。'06年、軍艦島上陸。

アジア・中東累計約30カ国程訪問。忌野清志郎のライブ主催などイベント企画。色んなことをしながら現在都内の広告代理店勤務。

こんな本にも載ってます。
http://amzn.to/b01Jqt

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~GO for AFGHANISTAN~⑨地雷との遭遇

31日は療養した。たまっていた仕事もあったので片付けた。

9/1 ジェットコースターに乗っているほうがどれだけ楽なのだろう、と思った。今、俺は世界一悪路のハイウェイと名高いアジアンハイウェイを、11人乗りのハイエースで揺れながら進んでいる。いや、転がり落ちているといったほうが正確かもしれない。今まで何度も悪路と呼ばれる道を走ってきたが、これほどまでなのは初めてだ。頭なんて天井にぶつけすぎて記憶が飛んでいきそうだ。受験生なら悲鳴ものだよ、なんて考えていた。とにかく首はムチウチだし、体はぶつけにぶつけるし。車は崖から転げ落ちそうだし。タイヤはパンクしほうだいだ。朝4時半にカブールを出て、バーミヤンに着いたのは3時半。11時間。死ねる。

とりあえず荷物を置くために宿兼レストランのマルコポーロで飯を済ませ、早速大仏観光&アルカイダの遺物、薬莢探しに向かった。

相方マサキは果敢にも、いや無謀にもどんどん道なき道を進んでいこうとする。たぶんレストランでフランス人バッパーが「大丈夫、安全だよ」なんていっているのを聞いていたからだろう。でも俺は止めた。止めに止めた。俺には分かっていたからだ。ここには必ずある、ということが。カンボジアで地雷を掘っていた時と同じ感じのすることに、俺は気づいていた。

危険な道を避け、大仏近くの村で薬莢を探した。寄ってきた少年二人に手伝ってもらう。いくつもの薬莢と爆発したRPGの弾薬らしきものを拾った。この時も、アラーム音は俺の頭の中で鳴り響いていた。

大仏もろくに見ず、薬莢を探していた。いい土産だななんて二人で話していた。マサキと一人の少年は警戒心が薄れているらしく、どんどんと前へ進んでいった。俺は危険の感じる道だけマサキに通らせないように指示していた。と、その時のことだ。

「ユウキ!」

マサキの声が聞こえた。俺は分かっていた。何も言わずにマサキのほうを見た。

「地雷。」

生きているであろう地雷だった。土にも埋もれず、むき出しにコロンと転がっていた。俺の勘は正しかった。世界遺産といえど、まだ地雷のある所なのだ。俺が地雷に触ろうとすると少年が止めた。

俺は急に誰かに呼ばれた気がして、後ろを振り返った。居ないはずの大仏が、破壊されたはずの大仏が、「帰りなさい。」といっているようだった。

俺は悪い予感がして、マサキにそれを告げ、二人で足早にその場を去った。俺の頭のアラーム音は、最大量になった。慎重に戻った。

途中警官にからまれて長い時間もめ、おまけに銃まで持ってきたりしてだいぶ危ないことにもなったが、俺にとっては些細なことだった。重要ではなかった。怖いとすら思わなかった。アラーム音はだんだんと消えていった。

街に戻ると夜はすっかり更けていて、街灯が無い道には人っ子一人いなかった。俺は自分の危険察知力の鋭さに満足して、それで頭はいっぱいだったが、同時にそれがいつか命取りになるんじゃないかと考えて、少し怖かった。そんなことを考えているうちに、無事宿に着いたのだった。
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# by g999er | 2005-09-15 19:43 | →GO for Afghanistan

~GO for AFGHANISTAN~⑧いざ、アフガニスタン。(後編)

かくして、ジャパンマネーの偉大さを実感しつつ念願のアフガニスタン入国を果たした俺たちは、本日の最終目的地、首都カブールに向かった。

タクシーは快適だった。バスは遠くから少し見たが、かなりのすし詰め状態で、あれで10時間も乗ってるのは不可能だろうということで、タクシーを選んだのだ。

タクシーは快調に進んだ。山を越え、谷を越え、また山を越えているうちに夜が来た。山のてっぺんのほうまで行くと、星が近いのに気がついた。マサキが「スゲーゼ、ユウキ?」と車から身を乗り出して星を見ている。俺もつられて見てみた。

 
「あの、ここプラネタリウムですか?」



そんなことを思わず誰かに聞きたくなるような満天の星空。マサキはこの星のすごさを北海道×2、富士山×3or4と言っていた。何しろ、天の川がはっきり見えるくらいだから。もう本当にミルキーウェイ。一つ一つの星がデカイ。もしここが危険な所でなければ、車を停めてゆっくり見たかったのだが。。。

しかしそんなことは言っていられない。ここはアフガニスタン。夜の山道ほど危険な所は無いのだ。そうこうしているうちに車は峠を下りていった。もうすぐ首都カブールだということだ。

カブールに着いたのはキッカリ夜の10時半。アル中のマサキの熱烈な希望により、カブールで唯一のバーがある、ムスタファホテルに宿を決定する。俺たちは部屋に荷物を置くと、シャワーも浴びずにビールで乾杯をしにいった。この日初めて口にするのは、ビールとピザ。うまい。幸せだ。この後シャワーを浴びて、日記を書こう。手紙を書こう。などと考えていた。しかし、その幸せをぶち壊すように、事件は起きた。

たったカン一本でクラクラになったオレは、コンタクトを取り、シャワーを浴びようと共同シャワールームへ。そこでコンタクトを取っていると、急に吐き気を催した。その吐き気に耐え切れず、シャワーを断念して部屋に向かう。そう遠くない距離だ。扉の前まで行き、ポケットから鍵を取り出す。部屋の鍵は南京錠で、扉の上部に設置されている。

俺は手を伸ばした。鍵まですぐそこだ。「今日はもうこのまま寝よう」そんなことを考えたちょうどその時のことだ。手が震え始めた。うまく鍵もささらない。足にも震えが来て、立っていられなくなった。まだ正常な声帯を揺らし、声を振り絞って隣の部屋にいる、マサキを呼んだ。

ここらへんから記憶が曖昧だ。たしかマサキは「どうした?」と言って出てきて部屋の鍵を開けてくれ、俺を寝かせてくれたのだ。俺の手足はジーンとして、震えが止まらなかった。力が入らなかった。自分は死ぬのだろうと思った。(後日マサキに、『ユウキずっと、「こんなところで死にたくねぇ。」「ここは俺の死に場所じゃねぇ」って言ってたぜ』と言われ、顔から火が出るほど恥ずかしかった。)

気がつくと、外にいて、全身軍服のアメ人みたいなやつに担がれていた。彼の肩が俺の腹に当たって吐きそうになって、意識を取り戻した。すぐさま降ろしてもらうと、少しだけ歩けた。そのまま一緒についてきてくれていたマサキと軍服に肩を貸してもらい、ISAF(アイサフというアメリカの警備会社。軍服君は俺たちが泊まっていたホテルにここから派遣されていた。)の救急病院。

かくして救急病院患者Aになった俺は、マサキに助けてもらいながらまず病状を説明すると(確か「My hands and feet have gone to sleep.」「Did Udrink alchol?」「yeah,but alittle bit. only one can.」「I see」)、次にてっきり点滴やら検査やらで注射するものだと思って、「Can U use new needle for me?」と聞いて、医者が笑顔でうなづくのを見てから、診察台の上で目を閉じた。

医者に腹を触られながら、「ここで死んだら親は悲しむんだろうなぁ。でも笑えるなぁ。三面記事に出るかもな。《アフガンで邦人死亡。しかし病死。》俺なら迷わずツッこむね。」なんて考えていたら、俺の治療は終わったらしく、医者がこっちを見ていた。

そして目が合うと、クソ不味い薬を渡してきた。不味さで具合が悪化するんじゃないかってくらいに不味い薬だった。そして規定量を俺に飲ませると、笑いながら俺に言った。

 
「たいした病気じゃないよ。大丈夫。」


「あまりにも苦しすぎる状況のため、その医者のセリフを半ば信じられなかった俺は、病状を詳しく聞いた。「病名はギャザうんたら(覚えていない。)、まあ一種のsuddenな stomach problem とalchol holicだよ。」

あるこーるほりっくってアル中?まさかそんなはずあるか!!と思い信じられない思いで聞いた。「アル中?一杯しか飲んでないよ?」と言うと、「一杯でさえ、さ」と言っていた。

いまだ震える手を見つめて、信じられない思いと驚きをごったにしたような感覚で、神だか先祖だか家族だか俺を守ってくれているもの全てに感謝した。

ほっと安心しながらも、まだ手は震えていた。そのことを伝えると、さっき飲んだ薬をだして、また飲むように言った。俺は心底イヤだったので、苦そうな顔をしていると、そこはさすが相方のマサキ君。「だめだろー、飲まなきゃ」と言って俺に薬を飲ませてくれた。いや、無理矢理飲まされた。

いい笑顔をしているマサキに「これフリ?フリ?こんなまずいめし食えるか!
」とか突っ込んだ方がいいのか聞こうと思ったが、口もふさがっていてなすすべもなかった。

これで、俺の治療は終わった。ゆっくりと診察台で休み、宿へと戻った。宿でまたいい笑顔をしたマサキに例の薬を飲まされ、その不味さからか疲れからか何か分からないうちに寝てしまった。

こうして俺のアフガニスタン初日は、その字の通り、苦~い思い出になったのである。
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# by g999er | 2005-09-14 21:34 | →GO for Afghanistan

~GO for AFGHANISTAN~⑦いざ、アフガニスタン。(前編)

8/30 いよいよアフガニスタン入国だ。
朝起きると、タクシーとの約束の9時を30分ほどまわっていた。急いで身支度を整え、泊まっていた安宿を出る。タクシーとの待ち合わせ場所に着いたのは11時頃のことだった。

二時間も遅れたのに、運ちゃん(あ、運転手ね)は待っていた。「I'm sorry.we're too late.」と言うと「No,problem,sir」と笑顔で返してくる。なんていい奴なんだ。さすがに中級ホテルの専属運転手(俺らはわざわざそこまで行ってこいつを捕まえた)なだけあって教育が行き届いている。対応もすごくいい。何より英語が通じるのがすばらしい。

早速タクシーに乗り込むと、向かったのはトライバルエリア(パキスタン側国境付近の部族管轄地域。パキスタンの法律が適用されず、通過するにも許可が必要)の管理警察と、ガードマンをつけるために行ったセキュリティーオフィス。簡単な手続きを済まし、問題なく出発。

さあ、いざ、アフガニスタンへ。

3時間ほどして、パキスタン国内へ逃げ込んだアフガニスタン難民のキャンプやトライバルエリアを無事通過し、国境へ。運ちゃんに金を払って握手をして別れる。最後まで親切で気持ちのいい奴だった。

パキスタン出国を簡単に済ませた俺たちは、アフガニスタンのイミグレーションへ。しかし、ここで意味の分からないことになる。

(始めに注釈をつけておくと、俺もマサキも東京のアフガニスタン大使館でビザを取得したのだが、東京のアフガン大使館の責任者だかビザ作る担当の奴だかが馬鹿すぎて、ビザが間違いだらけなのである。俺は日本にいるときにそれに気づいて二度も訂正してもらったものの、二重線で消して上書きして、しかも証明のスタンプすら押されておらず、へんちくりんなサインだけ。あたかも俺が書いたかのように不自然。マサキは不運にも気づかず、二週間のビザのはずが一週間になっていることに後で気がついた。)

案の定俺はビザを見せると、「これはお前が書いたんだろう」と言われ何故か入れなくて、マサキも同様。「ペシャワールのアフガン大使館まで戻れ。」と言われる始末。意味が分からないからとりあえず




キレといた。




もうすでにお決まりになっているけれど、「これは国際問題だ!日本はアフガニスタンをサポートしているのに、お前はなんでその日本人をサポートしないんだ!!」そして、俺は攻撃に転じた。
「いいよ、わかったよ。オッケー、通れなくてもしょうがない。はいよ。でも、




お前の名前を教えろ。




ぐだぐだ言ってないで早く教えろ。メモじゃなくて、名刺をよこせ。お前のことを日本に戻ってからアフガニスタン大使館に必ず報告してやる。それに俺のオヤジは日本政府高官だしな。必ず報告するからな。」

この言葉が一番効いた。そしていつの間にか通訳になっていた謎の仲介人は、役人と話し、俺たちにこう伝えた。

「U must not say to anyone else.Pay money,OK?」

んあだとぉ?と思わずキレそうになったが、金で解決できるものならなんぼでもしてやるぜ!ということで一人10$づつ渡し、しかも

「we donate 20$ to him for his kind.It's only gift.」(全然。んもう本当全っ然ワイロなんかじゃないから!!)

とまで書かされた。(当然、後で東京のアフガン大使館にチクるし請求するけどね。)

かくして、念願のアフガニスタン入国が叶った。ジャパンマネーは偉大だ。

(前編終わり...…後編へ続く)
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# by g999er | 2005-09-13 22:47 | →GO for Afghanistan

~GO for AFGHANISTAN~⑥沈没船再始動。隠れた世界遺産へ

9時、目が覚める。シャワーを浴び、コンタクトをした。マサキを起こし、準備をすると沈没船は動きはじめた。飯を食い、世界遺産でもあるガンダーラ遺跡群のあるタキシラという小さな街へ。

タキシラに着くと、親切な紳士がリキシャをつかまえて、話してくれる。俺達が値段交渉をしているとすっと立ち去ろうとするので、「ミスター!」と言って呼び止め、「シュクリア(ありがとう)」と言う。笑って握手を求めてきたので応じる。すごくいい人だ。

リキシャと交渉した結果、博物館に行き、5つの遺跡をまわってペシャワール行きのバス停に行ってくれて二人で300RS(5ドルくらい)に落ち着いた。結構安い。

まず博物館に行き、仏陀を見る。こっちの仏陀はホリが深い。そんなことを考えながら、博物館を後にした。その後世界遺産に登録されている五つの遺跡をまわった。

遺跡自体はすごくのどかで感動こそしないものの、のんびり過ごすにはいい所だった。が、遺跡には管理人が必ずいて、俺らが遺跡を見終わるやいなやバクシーシ(喜捨。チップみたいな施しみたいなもの)を求めてくるのが非常にウザかった。

3つ目の遺跡だった。管理人は長い白髭を顎にたくわえた老人だった。俺とマサキは遺跡を見ながら、「もしこのジイサンが俺らが帰ろうとしても何も要求してこなかったらチップあげようぜ。」と話していた。

作戦は速やかに実行された。心を支配し始めていた諦めと、まだ残っている少しの期待を抱きつつ。俺たちは遺跡を見終わると、ぶつぶつと二人で話しながら、ジイサンに笑顔でお辞儀をして立ち去ろうとした。そしてジイサンの前を通り過ぎた。しかしジイサンは笑顔をくれるだけで、何も言わない。

俺たちはもうこれだけで胸がいっぱいになって、振り返ってチップを渡した。二人で20ルピーだ。全然たいした額じゃない。それなのに管理人のジイサンはひどく喜んで、胸に手を当てて感謝していた。今にも泣きそうな顔すらしていた。

俺たちはもっとチップをあげたくなるのをこらえて、笑顔で「シュクリア(ありがとう)」と言い、握手をした。そして俺たちは言った。「彼をNO1パキスタニー(パキスタン人)と任命しよう」と。

その後胸いっぱいの一行は、各所を回り、無事ペシャワール行きの夜行バスに乗り込んだ。

別日。
ペシャワール。情報収集&久しぶりのまともなネット活動。バッパー、シンゴ君とジンと宿で出会い、仲良くなる。街では帽子屋を営むアフザルと仲良くなり、甘味やお茶をおごってもらい、しまいにはターバンまでもらう。この街は何も無いけどいい街だ。人がイイ。いよいよ明日はアフガン入国だ。
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# by g999er | 2005-09-07 01:12 | →GO for Afghanistan

報告

とりあえず、生きています。タリバンらしき軍団と接触しそうになったり地雷踏みそうになったり不発弾を捕らえたりしましたが、無事です。俺の強運は相当のものです。
なんとかパキスタンまで戻ってきました。メールくれた皆様どうもありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。取り急ぎ報告まで。
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# by g999er | 2005-09-06 01:08 | →GO for Afghanistan

~GO for AFGHANISTAN~⑤番外・沈没編

疲れと腹痛と寝坊と美味すぎるキムさんの中華料理のため沈没@ラワールピンディ。なぜかエアコン付きの豪華な(といっても中級、一泊800円の)ホテルで沈没@ホテルBLUESKY。特に何もしてない。遊んだり、ぷらぷらしたり。

あえて言うのならクリケットが面白かった。マサキがやるのを観ながらパキスタン人らと仲良くなる。コーラをおごってもらう。

パキスタンの人達は、みんないい人。しかし公職とリキシャを除く。

パキスタンのネット事情はすごい。ホットメールを開くのに1ページ30分以上。まともに返信できない。俺のブログは結局5時間で一回しか開けず一回もログインできなかった。日本語のOS入ってるわけないじゃん!しかも


入れても動かねーし!!
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# by g999er | 2005-08-30 01:41 | →GO for Afghanistan

~GO for AFGHANISTAN~④おはようパキスタン。

朝10時半に宿を出て、国境へ着いたのは約一時間後。一人の日本人と出会い、一緒に国境を越えた。中にいたパキスタンの役人は噂通り最悪で、俺のカロリーメイトを食った挙げ句、パスポートを投げてケタケタ笑いやがった。思わず殴りそうになったがぐっとこらえる。怒りを抑えながらのパキスタン入国。これがこの後起こる悲劇の序章だとは、気づく由もなかった。

国境を越えた俺達は、ラホール市内へと向かうバスに乗り込み、しばし体を休めた。

ラホールは思っていたよりデカかった。この日のうちにラーワルピンディへと向かう予定だった俺達二人は、日本人と別れ、鉄道のチケットを買うために駅へ。しかし駅ではほとんど英語が通じず、しかもたらいまわしにされ閉口したが、「2時半にまたここに来い。」という駅員の言葉を信じ、駅構内で待つことに。

構内でうろうろしていた俺達は、久しぶりに目にしたマクドナルドでファンタオレンジを買う。店員はとても気さくで英語も聞き取りやすく、すぐに仲良くなった。記念に写真を撮ってあげる。思えばこれが、我がいとしのNIKON FE2 で撮った最後の写真であった。

その後約二時、駅の柱を背にしてバックパックを置き、その上に座る。めったに見ない外人ということで珍しがってか、人が寄ってくる。あっという間に人だかりができてしまった。軽い威圧感を覚えながらも話し掛けてくる人々とコミュニケーションを取る。トイレに行っていたマサキもそのうち戻ってきて、一期一会の出会いを楽しんでいた。話し込んでいるうちに約束の2時半が来て、人々にお別れを言った。

駅の受付に再度行くも、駅員は「私は英語がしゃべれない。分からない。」を繰り返すばかり。一向に進展しない事態にあきれてものもいえず、駅を去った。

次に向かったのは鉄道の予約会社。しかしチケットはないと言う。仕方なく市内を回るローカルのバススタンドへ。ラワールピンディ行きのバスがあるバス停に行くためだ。「仕方ない。そろそろエアコン付きの高級列車に乗ってみたかったけど、我慢しよう」などとローカルバスの中で考えていた、その時のことである。

急に異変に気がついた。何かがおかしい。何か、何かわからないけどおかしい、と思いその「何か」が判明したのはその数秒後のことだった。




カメラが無い!!



この旅行のために買った、NIKONのFE2 & lowe proのカメラバック!何でない!!ローカルバスの中でショックで頭がくらくらして、思わずしゃがみこんだ。バスを降りてからもすぐには立ちあがれなかった。20分くらいしただろうか。気が遠くなるほどのショックを受け、ずっとしゃがみこんで涙をこらえていた。

「このままじっとしててもしょうがない。探しに行こう」と思えたのは、相方マサキがいてくれたからだ。もし今までみたいに一人旅だったら、きっと一瞬で気が滅入ってしまっていただろう。すぐに帰国したかもしれない。

俺が「すまん、探しに戻っていいか?」と言うと、マサキは「ああ、もちろん。納得できないだろ。」と言ってくれた。持つべきものは、友達だなぁと心から思った。

それからいくつもの警察を回った。冷静になっていくうちに、駅で人だかりができたときに盗まれたのだと悟った。マサキがトイレから戻ってきたときにはカメラはあって、そこから駅の受付に行くときにカメラバッグを背負っていなかったのに、振り返ったときには忘れ物は無かったのを思い出したからだ。

この事を話すと、若い英語の話せる警官たちは親身になって相談に乗ってくれ、色んな所へ俺達を連れてまわってくれた。そして彼らは自分達のせいでもないのに、「I'm sorry. so so sorry.」と言って何度も謝るのだった。俺はこれだけでも少しは報われた気がした。

その警官達と別れ、鉄道警察へ向かう。鉄道警察は全く使えないデブの無能なジジイばかり。被害届けすら出してくれない。あつかましい態度で、ああ、しらねーよ。といわんばかり。しかも俺の英語が間違ってるから意味が分からない。ただなくしただけだろ、盗まれてなんかいねぇよとまでいいやがった。

最初はおとなしく聞いていた俺もついにはキレ、大声で怒鳴りまくった。「無くしただけならなんで警察まわってでてこねーんだよ。パクられたんだよ!馬鹿かおまえは?いいから被害届書けよ馬鹿!俺の金の問題だろうが!」などと延々と怒鳴り続け、お仕舞に、いかに自分が日本の大学の中でトップクラスの大学にいて、将来俺が高官になっておまえのせいでこれが国際問題になって、日本が毎年パキスタンに援助している2000万$を減らすために尽力したらどうする?おまえの首を切るか、援助金を2000万$から半額にするか、大統領はどっちを選ぶだろうね、楽しみだなハハハハ。とまでボロッカスに言った。怒鳴った。

すると態度は急変し、ブラザー、オーケー、オンリースタンプ、オーケ-?ってなもんだ。そう、結局それでも3時間近くいてやっと俺の書いた紙にスタンプを押させたくらい。被害届けの一つも出さない。基本的に全く仕事をする気が無い、こいつら。パキスタンの役人は最悪だ。

先進国が甘やかして援助ばっかりするからこうなるんだ。もっとNGOとか民衆に近いところに金を落とさなきゃいけないのに。

そう、かくして俺のカメラは無くなった。いや、盗まれた。


こんな感じで初パキスタンの俺のパキスタンイメージは、最低で最悪なものになった。

ラホールでの思い出はここまで。その後夜行バスに乗り、25日の朝6時半にラーワルピンディに着いた。
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# by g999er | 2005-08-29 23:50

~GO for AFGHANISTAN~③続・脱インド編!

22日の夜だ。寝台列車の中はエアコンなんて無くて十分なくらい寒かった。なにしろ、その寒さで夜中に何度も目を覚ましたくらいだ。ついにはその寒さに耐えかねて、エア・インディアから拝借してきた毛布を体に巻き付けて寝た。

朝起きて時計に目をやると、時刻は8時を少し回ったくらいだった。例によって相方のマサキはまだ寝ている。寝台の一番上からヨイショと身を乗り出して下を見ると、綺麗なサリーを着た女性とその父親らしき人が座っていた。

俺は未だ爆睡をかますマサキを尻目に下へ降り、日本から持ってきたカロリーメイトの朝食にありついた。そうこうしているうちに、国境の街アムリッツァルへ到着した。俺達はまず宿を探した。宿は入念に選んだ。コンタクトレンズ使用者の俺は、できれば室内にシャワーがあり、一人100Rsくらいでという条件で選びたかったからだ。

結局一時間半ほどリキシャを走らせ、5つ目のSUN DEWという宿に決めた。一人125Rs。激安ではないが、そこそこの値段でエアコン付き、清潔。かなりおすすめできる宿だ。

いつもならここで一休みだが、寝台のおかげで二人とも睡眠は十分。早速市内観光することに。いろんな人に出会い、聞くうちに、黄金寺院というスィク教の総本山らしき寺があることを耳にする。しかも交通費もフリーバスがありタダで行け、拝観料などもかからないとのこと。じゃあ、ということで行くことに。

実際に黄金寺院についてみると、俺達の邪な考えが恥ずかしいくらいに立派な建物、立派な場所、まさしく聖地だった。眼前に広がる東京ドームウン個分あろうかと思うほど大きな池と、その周りにそびえたつ宮殿。そしてその中心には黄金の寺院。これはすごい。いい土産だ、などと思わずひとりごちて帰ってきた。

明日はいよいよパキスタンへ。さよならインド!
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# by g999er | 2005-08-23 23:39 | →GO for Afghanistan

~GO for AFGHANISTAN~②早々に立ち去れい!脱インド編

インドは今日も快晴だ。うだるような暑さに目を覚まされたのは、午前も11時を回った頃。相方マサキはまだ寝ている。

寝汗でびっしょりになった身体は、少しでも早い海への帰還を求めたが、ここはあいにく海とは無縁の街、デリー。俺はゆっくりと体を起こし、シャワールームへと向かった。

水シャワーで汗を流し、すっきりしたところでマサキを起こした。さっそく飯を食いに街へ出る。街は昨日の喧騒が嘘のように人が少ない。まるで試験期以外の早稲田大学のようである。

今日は人がすくねーな、なんて余裕をかましてラッシーを飲んでいると、ハイエナどもが寄ってくる。初インドだと言うと俺のことをカモだと思ったのか、「いい旅行会社を教えてやる」と言いはじめた。ふふ、馬鹿め。こちとら場数踏んでんだよとほくそえんだ。この男は英語が堪能らしく、信じさせようとペラペラよぅしゃべる。俺は意地が悪いので、聞こえないフリをしたり聞き返したりしながら一通り聞き終わったところで、「NO NEED」とだけ言って飯屋へと直行した。

飯屋では、羊の肉を使ったマトンカレーとナンを注文した。これがすげーうまい。香辛料の効いたスープに味の染み込んだ具と羊肉。焼きたてのナンとのアンサンブル。うまい。辛さも適度で食べやすく、満足。

こんなうまい飯を食ったら、もうデリーに未練は無い。早くパキスタン行こうぜ、という話になり、国境の街アムリッツァルへのチケットを買いにニュー・デリー駅へ。

外国人専用窓口に行き、チケットを探すと、今日の夜行があったので、ただのSLを取る。エアコン付の2Aも3Aも満席だった。怖そうに見えたイギリス人のカップルは、話しかけると実はすごくいい人達で、軽く寝台って英語で何ていうんだっけ?って軽く聞くと、いろいろ説明してくれた。お礼に写真を撮った。インド人の好青年とも仲良くなった。写真を撮るとメールで送って欲しいということなので、メアドを控える。この時にドイツから来た4人組とも話が弾む。彼らの写真も撮り、帰国したら送ることに。

駅から戻ると宿のあるメインバザールには活気が戻っていた。写真を何枚か撮る。早くも1本目のフィルムが終わる。10本のフィルムでは足りないであろうことを痛感する。

人だかりを抜け、宿に戻り、パッキング。チェックアウトを済ませ、早めの晩飯を食い、現在、イントラネッツの虜。

あと三十分もしたらデカイバックパックを背負い、21:05のニューデリー発に乗り込み、国境の街アムリッツァルへと向かいます。
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# by g999er | 2005-08-22 23:19 | →GO for Afghanistan

~GO for AFGHANISTAN~①インドは臭くてたまらんぜヨ!

インド着きましたよ。牛が糞尿垂れ流していますよ。みんなはいかがおすごしですか?

では今日のハイライト。

午前4:00 起床。
いよいよ旅立ち。昂揚が高まる。
午前7:30 馬場駅で、見送りに来てくれるしのと待ち合わせ。
スタバはこういう時便利よね。JRで日暮里まで行き、京成スカイライナーへ乗り込む。
午前9:15 成田空港到着。
しのとおにぎりを買って食べ、旅友マサキと合流する。そしてチェックイン。
午前10:40 日本にお別れの挨拶。さようなりー。
午前11:10 ゲートインの時間。最後、スチュワーデスさんに声を掛ける。「んふふ。病気にならないようにね。」ありがとう!愛してるーww
午前12:00 出発

現地時間午後4:45 デリー着
安宿街であるメインバザールを目指しバスへ乗り込む。
メインバザールに着くと、そこは人、人、人、糞、牛、人、牛、糞。
衝撃のあまり飛行機で知り合ったショウは「なんじゃこりゃー!」とその場に倒れこむ。
午後5:00 今日の宿が決定。anoop.G.H。ツインで一人125ルピー。マサキが値切りました。安いのか?高いのか?相場が分かりません。
午後7:00 晩メシを食う@アヌープの屋上、なぜかタイレストラン。
トムヤムカイとパッタイ春雨バージョンを食す。激ウマ。

そしてシャワーを浴び、現在に至る。現在にイタリアン。
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# by g999er | 2005-08-08 03:08 | →GO for Afghanistan

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