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'82年東京生まれ早大卒。小心者の見栄っ張り。臆病者の命知らず。
'04年夏、カンボジアにて完全無防備、スコップのみを使用し地雷除去を敢行。
'05年はアフガニスタンにてアルカイダとニアピン。'06年、軍艦島上陸。

アジア・中東累計約30カ国程訪問。忌野清志郎のライブ主催などイベント企画。色んなことをしながら現在都内の広告代理店勤務。

こんな本にも載ってます。
http://amzn.to/b01Jqt

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→2010チュニジア/モロッコ
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→最後の行軍
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最後の行軍・其の参 ラオス・バンビエン

それは、太陽のせいだ

さんさんと照りつける日差しの下で、僕は大きな欠伸をした。まるでワニが大きくパックリとその口を開けるように、大きく口を開けて、欠伸をした。ただ、ワニとは違って僕には、この歯を磨いてくれる鳥はいなかった。それでも僕は、何かを待つように、大きく口を開けていた。

ラオスのバンビエンに着いたのは26日の昼のことだった。バンコクからビエンチャンへのバスで出会ったイカイさんと、ビエンチャンのRDゲストハウスで出会ったカズ先生、カイくんと一緒にバスに揺られること4時間、バンビエンに到着した。

多くの田舎町がそうであるように、ここにも山と川以外に観光客を惹きつけるものは無い。あるのはその山と川をメインにしたアクティビティーと宿泊施設くらいだ。それでも、少なからず観光客がいるのは、ラオスの桂林と言われるほどの絶景と、田舎ならではの、ゆっくりと流れる時間のためだ、と僕は思った。僕もご他聞に漏れず、そのゆっくりとした時間の流れ方が気に入って、カヤッキングした次の日は、何は無くとも、一日中体を休めていた一員であった。

何もせず、何も得ず、何にも縛られず、何も怖れず、ただひたすらに無為に過ごす。僕はこのバンビエンの一日にこそ価値を見出していた。僕には、ただその時間の流れの中に身を投げているという、その事実だけで充分であった。だからこそ、僕はこの土地をひどく気に入っていた。今思えば、何も無かったからこそ、僕は自由に成り得たのだろう。何も得ようとしなければ、それはそれでいいんだろう。

しかし、それでも、僕は、口を開けて、待っていた。ただひたすらに、待っていた。
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by g999er | 2006-12-28 20:53 | →最後の行軍

最後の行軍・其の弐

洗濯物はグルグル回っていた。ジーンズもスカートも背広も一緒に投げ込まれて。そしてそれはたまたまそこに洗濯機があったからに過ぎない。あとは、こっそり漂白剤を投げ込むだけでいいのだ。真っ白になればいいんだ。全部。

僕がバンコクに来るときはいつも、うだるような暑さが僕を苦しめ、同時に僕の顔にどうしようもない笑顔をくれる。僕はずっとそう思っていた。今回、バンコクにはもう6日もいる。でも、僕は以前ほど笑ったり、怒ったりする事は無い。それは、たった30℃という低い気温のせいだけだとは、どうあがいても考えられなかった。

朝、目を覚まし冷たいシャワーを浴びて着替え、シェークとパッタイを買い、道端に座って食べ、一服する。これがカオサンでの僕の朝の日課だ。1ドル弱という安いタバコから吐き出した煙は、粗悪な匂いに似つかわしく、粗悪な態で流れていく。僕はその煙を目で追いながら、倦怠感に満ちたカオサンの一部になっている自分をせせら笑って、ホコリのついた尻をはたいて立った。そんな僕の頭では、エレカシの「風に吹かれて」が流れていた。

風に吹かれて は、ネットカフェに着いても鳴り止まなかった。このリフレインを誰か止めてくれないか。言葉にならない言葉を口でつぶやいていると、本当に偶然に、嬉しいことが起こった。以前電話したけど繋がらなかった人から返信があったのだ。僕はその人に電話して、声を聞いた。ほんの五分かそこいらの出来事だった。それだけだった。愛していると言ったわけでも、やはり好きだと言われたわけでもなかった。僕達の関係は何でもなかった。でも、それだけで、充分だった。僕には、それだけで、充分すぎるほど充分だった。

いつの間にか、頭の中の音楽は鳴り止んでいた。
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by g999er | 2006-12-23 19:35 | →最後の行軍

最後の行軍・其の壱 12/17

そこに君がいた。君がいたから僕がいた。僕がいたから、君がいた。


鳴り止まない鐘を背に、僕は最後の行軍への扉を、ゆっくりと開けた。陸を離れる飛行機の中で、もう日本に帰れないことを覚悟すると、深い悲しみと、この上ない喪失感を感じた。そして、後悔を噛みしめた。

バンコクへ着いたのは夜中の1時半頃(現地時間)だった。空港は新設され、三年前に来た頃とは何もかもが違っているようだった。僕はバスを乗り継ぐためにバスターミナルへ行くことにした。

バスの中で、大分に住む韓国人、サンウと出会った。彼は日本語がうまくて、僕は途中まで在日朝鮮人なのかと思っていたほどだ。聞くと、もう六年間日本に住んでいるということだ。大分大学院在学の32歳。実際より若く見える。六年間日本に住んでいるという言葉を疑っても、それは無理の無いことだろう。サンウは、とてもフレンドリーで、優しく、いつも笑っている気さくなやつだ。彼も同様のことを僕に対して言ったが、僕の歩き方を見て「君は自信に満ち溢れているようだ」と言った。心の中で、僕は苦笑いをして言った。僕はどこでもチンピラで、虚勢を張ることしか知らないクズだ、と。彼は僕の微妙な表情から多くのことを察してくれたようだった。(ちなみに余談だが、彼は元・軍の幹部だったそうだ。僕の周りはいつだって、どこだって、男臭いヤツが多い。)

話を戻そう。四時頃カオサンに着くと、定宿にしているPCはおろか、他の安いゲストハウスは何処も満室だった。仕方なくカオサンをブラブラしていると、サンウが韓国語で一人の若者に声をかけた。同様に、サンウは道端にいた他の宿無しの韓国人にも話しかけ、僕達のパーティーは一気に六人に膨れ上がった。後に聞いてびっくりしたのだが、韓国人は、若い頃に必ず一年以上の旅に出るのだそうだ。だから、皆旅先で同胞に会うとすぐに打ち解ける術を持っていて、会ったすぐそばからまるで旧知の仲のような付き合い方をする。僕はその考えをひどく気に入って、仲間に入れてもらうことにした。というより、実は既にもうそうなっていたのだが。男はサンウ、タイガー、ムーン、女はミンとオー・ジン。皆その晩出会った仲間達を気に入って、僕達は一緒に行動することにした。といっても、宵も宵、既に朝五時を回っていたから、どうせなら、ということで朝まで路上で飲み明かすことにした。それから、僕の知っている安宿が空くのを皆で待つことにした。

僕はそれで、心の中のどうしようもない空虚さを、少しでも紛らわせたいと思った。
それが、ぼくの2006年、12月17日の夜、最後の行軍の始まりだった。
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by g999er | 2006-12-20 18:47 | →最後の行軍

最後の行軍・序

本日夕方6時に成田を発ちます。

テーマは沢木のこの言葉。

「人のためにもならず、学問の進歩に役立つわけでもなく、真実をきわめることもなく、記録を作るためのものでもなく、血湧き肉躍る冒険大活劇でもなく、まるで何の意味もなく、誰にでも可能で、しかし、およそ酔狂な奴でなくてはしそうにないことを、やりたかったのだ」

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by g999er | 2006-12-17 04:06 | →最後の行軍

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