Never stop exploring. Who dares wins.


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'82年東京生まれ早大卒。小心者の見栄っ張り。臆病者の命知らず。
'04年夏、カンボジアにて完全無防備、スコップのみを使用し地雷除去を敢行。
'05年はアフガニスタンにてアルカイダとニアピン。'06年、軍艦島上陸。

アジア・中東累計約30カ国程訪問。忌野清志郎のライブ主催などイベント企画。色んなことをしながら現在都内の広告代理店勤務。

こんな本にも載ってます。
http://amzn.to/b01Jqt

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→2010チュニジア/モロッコ
→GO for Afghanistan
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~GO for AFGHANISTAN~⑤番外・沈没編

疲れと腹痛と寝坊と美味すぎるキムさんの中華料理のため沈没@ラワールピンディ。なぜかエアコン付きの豪華な(といっても中級、一泊800円の)ホテルで沈没@ホテルBLUESKY。特に何もしてない。遊んだり、ぷらぷらしたり。

あえて言うのならクリケットが面白かった。マサキがやるのを観ながらパキスタン人らと仲良くなる。コーラをおごってもらう。

パキスタンの人達は、みんないい人。しかし公職とリキシャを除く。

パキスタンのネット事情はすごい。ホットメールを開くのに1ページ30分以上。まともに返信できない。俺のブログは結局5時間で一回しか開けず一回もログインできなかった。日本語のOS入ってるわけないじゃん!しかも


入れても動かねーし!!
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by g999er | 2005-08-30 01:41 | →GO for Afghanistan

~GO for AFGHANISTAN~④おはようパキスタン。

朝10時半に宿を出て、国境へ着いたのは約一時間後。一人の日本人と出会い、一緒に国境を越えた。中にいたパキスタンの役人は噂通り最悪で、俺のカロリーメイトを食った挙げ句、パスポートを投げてケタケタ笑いやがった。思わず殴りそうになったがぐっとこらえる。怒りを抑えながらのパキスタン入国。これがこの後起こる悲劇の序章だとは、気づく由もなかった。

国境を越えた俺達は、ラホール市内へと向かうバスに乗り込み、しばし体を休めた。

ラホールは思っていたよりデカかった。この日のうちにラーワルピンディへと向かう予定だった俺達二人は、日本人と別れ、鉄道のチケットを買うために駅へ。しかし駅ではほとんど英語が通じず、しかもたらいまわしにされ閉口したが、「2時半にまたここに来い。」という駅員の言葉を信じ、駅構内で待つことに。

構内でうろうろしていた俺達は、久しぶりに目にしたマクドナルドでファンタオレンジを買う。店員はとても気さくで英語も聞き取りやすく、すぐに仲良くなった。記念に写真を撮ってあげる。思えばこれが、我がいとしのNIKON FE2 で撮った最後の写真であった。

その後約二時、駅の柱を背にしてバックパックを置き、その上に座る。めったに見ない外人ということで珍しがってか、人が寄ってくる。あっという間に人だかりができてしまった。軽い威圧感を覚えながらも話し掛けてくる人々とコミュニケーションを取る。トイレに行っていたマサキもそのうち戻ってきて、一期一会の出会いを楽しんでいた。話し込んでいるうちに約束の2時半が来て、人々にお別れを言った。

駅の受付に再度行くも、駅員は「私は英語がしゃべれない。分からない。」を繰り返すばかり。一向に進展しない事態にあきれてものもいえず、駅を去った。

次に向かったのは鉄道の予約会社。しかしチケットはないと言う。仕方なく市内を回るローカルのバススタンドへ。ラワールピンディ行きのバスがあるバス停に行くためだ。「仕方ない。そろそろエアコン付きの高級列車に乗ってみたかったけど、我慢しよう」などとローカルバスの中で考えていた、その時のことである。

急に異変に気がついた。何かがおかしい。何か、何かわからないけどおかしい、と思いその「何か」が判明したのはその数秒後のことだった。




カメラが無い!!



この旅行のために買った、NIKONのFE2 & lowe proのカメラバック!何でない!!ローカルバスの中でショックで頭がくらくらして、思わずしゃがみこんだ。バスを降りてからもすぐには立ちあがれなかった。20分くらいしただろうか。気が遠くなるほどのショックを受け、ずっとしゃがみこんで涙をこらえていた。

「このままじっとしててもしょうがない。探しに行こう」と思えたのは、相方マサキがいてくれたからだ。もし今までみたいに一人旅だったら、きっと一瞬で気が滅入ってしまっていただろう。すぐに帰国したかもしれない。

俺が「すまん、探しに戻っていいか?」と言うと、マサキは「ああ、もちろん。納得できないだろ。」と言ってくれた。持つべきものは、友達だなぁと心から思った。

それからいくつもの警察を回った。冷静になっていくうちに、駅で人だかりができたときに盗まれたのだと悟った。マサキがトイレから戻ってきたときにはカメラはあって、そこから駅の受付に行くときにカメラバッグを背負っていなかったのに、振り返ったときには忘れ物は無かったのを思い出したからだ。

この事を話すと、若い英語の話せる警官たちは親身になって相談に乗ってくれ、色んな所へ俺達を連れてまわってくれた。そして彼らは自分達のせいでもないのに、「I'm sorry. so so sorry.」と言って何度も謝るのだった。俺はこれだけでも少しは報われた気がした。

その警官達と別れ、鉄道警察へ向かう。鉄道警察は全く使えないデブの無能なジジイばかり。被害届けすら出してくれない。あつかましい態度で、ああ、しらねーよ。といわんばかり。しかも俺の英語が間違ってるから意味が分からない。ただなくしただけだろ、盗まれてなんかいねぇよとまでいいやがった。

最初はおとなしく聞いていた俺もついにはキレ、大声で怒鳴りまくった。「無くしただけならなんで警察まわってでてこねーんだよ。パクられたんだよ!馬鹿かおまえは?いいから被害届書けよ馬鹿!俺の金の問題だろうが!」などと延々と怒鳴り続け、お仕舞に、いかに自分が日本の大学の中でトップクラスの大学にいて、将来俺が高官になっておまえのせいでこれが国際問題になって、日本が毎年パキスタンに援助している2000万$を減らすために尽力したらどうする?おまえの首を切るか、援助金を2000万$から半額にするか、大統領はどっちを選ぶだろうね、楽しみだなハハハハ。とまでボロッカスに言った。怒鳴った。

すると態度は急変し、ブラザー、オーケー、オンリースタンプ、オーケ-?ってなもんだ。そう、結局それでも3時間近くいてやっと俺の書いた紙にスタンプを押させたくらい。被害届けの一つも出さない。基本的に全く仕事をする気が無い、こいつら。パキスタンの役人は最悪だ。

先進国が甘やかして援助ばっかりするからこうなるんだ。もっとNGOとか民衆に近いところに金を落とさなきゃいけないのに。

そう、かくして俺のカメラは無くなった。いや、盗まれた。


こんな感じで初パキスタンの俺のパキスタンイメージは、最低で最悪なものになった。

ラホールでの思い出はここまで。その後夜行バスに乗り、25日の朝6時半にラーワルピンディに着いた。
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by g999er | 2005-08-29 23:50

~GO for AFGHANISTAN~③続・脱インド編!

22日の夜だ。寝台列車の中はエアコンなんて無くて十分なくらい寒かった。なにしろ、その寒さで夜中に何度も目を覚ましたくらいだ。ついにはその寒さに耐えかねて、エア・インディアから拝借してきた毛布を体に巻き付けて寝た。

朝起きて時計に目をやると、時刻は8時を少し回ったくらいだった。例によって相方のマサキはまだ寝ている。寝台の一番上からヨイショと身を乗り出して下を見ると、綺麗なサリーを着た女性とその父親らしき人が座っていた。

俺は未だ爆睡をかますマサキを尻目に下へ降り、日本から持ってきたカロリーメイトの朝食にありついた。そうこうしているうちに、国境の街アムリッツァルへ到着した。俺達はまず宿を探した。宿は入念に選んだ。コンタクトレンズ使用者の俺は、できれば室内にシャワーがあり、一人100Rsくらいでという条件で選びたかったからだ。

結局一時間半ほどリキシャを走らせ、5つ目のSUN DEWという宿に決めた。一人125Rs。激安ではないが、そこそこの値段でエアコン付き、清潔。かなりおすすめできる宿だ。

いつもならここで一休みだが、寝台のおかげで二人とも睡眠は十分。早速市内観光することに。いろんな人に出会い、聞くうちに、黄金寺院というスィク教の総本山らしき寺があることを耳にする。しかも交通費もフリーバスがありタダで行け、拝観料などもかからないとのこと。じゃあ、ということで行くことに。

実際に黄金寺院についてみると、俺達の邪な考えが恥ずかしいくらいに立派な建物、立派な場所、まさしく聖地だった。眼前に広がる東京ドームウン個分あろうかと思うほど大きな池と、その周りにそびえたつ宮殿。そしてその中心には黄金の寺院。これはすごい。いい土産だ、などと思わずひとりごちて帰ってきた。

明日はいよいよパキスタンへ。さよならインド!
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by g999er | 2005-08-23 23:39 | →GO for Afghanistan

~GO for AFGHANISTAN~②早々に立ち去れい!脱インド編

インドは今日も快晴だ。うだるような暑さに目を覚まされたのは、午前も11時を回った頃。相方マサキはまだ寝ている。

寝汗でびっしょりになった身体は、少しでも早い海への帰還を求めたが、ここはあいにく海とは無縁の街、デリー。俺はゆっくりと体を起こし、シャワールームへと向かった。

水シャワーで汗を流し、すっきりしたところでマサキを起こした。さっそく飯を食いに街へ出る。街は昨日の喧騒が嘘のように人が少ない。まるで試験期以外の早稲田大学のようである。

今日は人がすくねーな、なんて余裕をかましてラッシーを飲んでいると、ハイエナどもが寄ってくる。初インドだと言うと俺のことをカモだと思ったのか、「いい旅行会社を教えてやる」と言いはじめた。ふふ、馬鹿め。こちとら場数踏んでんだよとほくそえんだ。この男は英語が堪能らしく、信じさせようとペラペラよぅしゃべる。俺は意地が悪いので、聞こえないフリをしたり聞き返したりしながら一通り聞き終わったところで、「NO NEED」とだけ言って飯屋へと直行した。

飯屋では、羊の肉を使ったマトンカレーとナンを注文した。これがすげーうまい。香辛料の効いたスープに味の染み込んだ具と羊肉。焼きたてのナンとのアンサンブル。うまい。辛さも適度で食べやすく、満足。

こんなうまい飯を食ったら、もうデリーに未練は無い。早くパキスタン行こうぜ、という話になり、国境の街アムリッツァルへのチケットを買いにニュー・デリー駅へ。

外国人専用窓口に行き、チケットを探すと、今日の夜行があったので、ただのSLを取る。エアコン付の2Aも3Aも満席だった。怖そうに見えたイギリス人のカップルは、話しかけると実はすごくいい人達で、軽く寝台って英語で何ていうんだっけ?って軽く聞くと、いろいろ説明してくれた。お礼に写真を撮った。インド人の好青年とも仲良くなった。写真を撮るとメールで送って欲しいということなので、メアドを控える。この時にドイツから来た4人組とも話が弾む。彼らの写真も撮り、帰国したら送ることに。

駅から戻ると宿のあるメインバザールには活気が戻っていた。写真を何枚か撮る。早くも1本目のフィルムが終わる。10本のフィルムでは足りないであろうことを痛感する。

人だかりを抜け、宿に戻り、パッキング。チェックアウトを済ませ、早めの晩飯を食い、現在、イントラネッツの虜。

あと三十分もしたらデカイバックパックを背負い、21:05のニューデリー発に乗り込み、国境の街アムリッツァルへと向かいます。
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by g999er | 2005-08-22 23:19 | →GO for Afghanistan

~GO for AFGHANISTAN~①インドは臭くてたまらんぜヨ!

インド着きましたよ。牛が糞尿垂れ流していますよ。みんなはいかがおすごしですか?

では今日のハイライト。

午前4:00 起床。
いよいよ旅立ち。昂揚が高まる。
午前7:30 馬場駅で、見送りに来てくれるしのと待ち合わせ。
スタバはこういう時便利よね。JRで日暮里まで行き、京成スカイライナーへ乗り込む。
午前9:15 成田空港到着。
しのとおにぎりを買って食べ、旅友マサキと合流する。そしてチェックイン。
午前10:40 日本にお別れの挨拶。さようなりー。
午前11:10 ゲートインの時間。最後、スチュワーデスさんに声を掛ける。「んふふ。病気にならないようにね。」ありがとう!愛してるーww
午前12:00 出発

現地時間午後4:45 デリー着
安宿街であるメインバザールを目指しバスへ乗り込む。
メインバザールに着くと、そこは人、人、人、糞、牛、人、牛、糞。
衝撃のあまり飛行機で知り合ったショウは「なんじゃこりゃー!」とその場に倒れこむ。
午後5:00 今日の宿が決定。anoop.G.H。ツインで一人125ルピー。マサキが値切りました。安いのか?高いのか?相場が分かりません。
午後7:00 晩メシを食う@アヌープの屋上、なぜかタイレストラン。
トムヤムカイとパッタイ春雨バージョンを食す。激ウマ。

そしてシャワーを浴び、現在に至る。現在にイタリアン。
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by g999er | 2005-08-08 03:08 | →GO for Afghanistan

彼は、声を失わない。

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BuenaVistaSocialClub(ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ)のシンガー、Ibrahim Ferrer(イブライム・フェレール)が6日、ハバナで死去。

イブライム・フェレールは1927年、サンティアゴ・デ・キューバ近郊のサン・ルイスに生を受ける。イブライム・フェレールがボレロを歌い始めたのは1996年、69歳のとき。音楽から身を引きかけていたある日、日課の散歩の最中にハバナの街角で急遽スタジオに呼ばれ、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のセッションに参加させられてからのこと。彼はオーケストラこそ13歳から歌い、その後もアップテンポなナンバーやグアラチャ、ソンなどを歌ってはいたが、ボレロを歌い始めたのは遅かった。

俺がイブライム・フェレールを知ったのはヴェンダースの映画『BUENA VISTA SOCIAL CLUB』を観てから。音楽の神に愛された天才的な歌声にシビレ、音楽に全てを捧げたその生き様に心底惚れた。

いまでは彼の命の灯火は消えてしまったけど、彼の残した歌声と、その音楽にかける情熱は人々の心から消えることは無い。

いままでありがとう。そしてさようなら。また逢う日まで。
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by g999er | 2005-08-05 07:38 | Music

くつと命とバナナティップス

日記が消えました。もう長々書く気力はありません。

今日は友人のモデル、田中みのりの所属事務所オフィスケンに伺いました。早稲田最2005コウシキパンフレットの表紙の件です。俺は表紙担当です。先方は快諾してくれ、方々に電話をかけてくれたり協力してくれました。社長様もマネージャーの方も親切で優しい人達でした。
お土産にバナナチップをもらいましたが編集長フクシマが


「oh!ワタシノダイコウ


ブツ、バナナティップ


ス!?」



と言って奪っていきました。

More
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by g999er | 2005-08-02 02:14 | 雑記

てかみんな、

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   テストおつかれ。


    (2005年 ロイター/Jeff Zelevansky)
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by g999er | 2005-08-01 02:41 | 雑記

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