Never stop exploring. Who dares wins.


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'82年東京生まれ早大卒。小心者の見栄っ張り。臆病者の命知らず。
'04年夏、カンボジアにて完全無防備、スコップのみを使用し地雷除去を敢行。
'05年はアフガニスタンにてアルカイダとニアピン。'06年、軍艦島上陸。

アジア・中東累計約30カ国程訪問。忌野清志郎のライブ主催などイベント企画。色んなことをしながら現在都内の広告代理店勤務。

こんな本にも載ってます。
http://amzn.to/b01Jqt

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カテゴリ:→GO for Afghanistan( 13 )

どうも。

グレッグです。

またの名をとまそんと言います。こんにちは。

日本は最高ですね。銀シャリ最高です。天ぷらうますぎです。マサラが入ってないだけで泣けます。

日本、最高です。

というわけで、無事アフガンより生還いたしました。
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by g999er | 2005-09-18 15:50 | →GO for Afghanistan

~GO for AFGHANISTAN~⑩「最終章」やっぱりそれは青かった。

ロンリープラネットというガイドブックがある。世界中の国々のほとんどを網羅する情報量と、『地球の迷い方』と揶揄される『地球の歩き方』とは比べ物にならないほどの情報の正確さで、世界中のバックパッカーからの支持を得ている本だ。当然アフガニスタンの情報も、あるのはロンプラくらいなもので、旅行中は俺も大変お世話になった。

しかしこのロンプラ、いかんせん全編英語なのだ。(もちろん日本語版も出ている。ごく限られた地域だけだが。)英語圏の人間ではない俺は、小一時間もこの本を読むとひどく疲れてしまう。こんなの読むくらいなら、行きたくねーよ、なんて思ってしまう。

そんな俺を気遣っているのかいないのか、ロンプラにはすごく魅力的なページがある。見るだけで癒されてしまう、写真ページだ。ロンプラはその写真集すら出しているくらいこのページには力を入れており、ロンプラの写真を見ただけで、その土地に行ってしまうバックパッカーがいるくらいだ。(決してまわしものではありません。)

アフガニスタン情報の載っている、ロンプラCentral Asiaには、アフガニスタンの写真として、バーミヤン近く(バーミヤンから片道4、5時間)の世界一美しいといわれている湖、バンデアミールが載っていた。空よりも青い青。ラピスラズリの色を持つ湖、バンデアミール。そんな風に別ページには載っていたと思う。
俺はその写真を見て笑った。こんな青いわけねーだろ。これカメラのフィルターのせいだろ、と。

訂正する。本当に青かった。嘘かと思うくらい真っ青。紺とも群青とも表現できぬ青。本当にラピスラズリだ。美しい。

コペルニクス的転回がなされる前、人類は天動説を信じて止まなかった。人々は地球は円形ではなく平面で、海の向こうは滝が出来て水は流れ落ちているのだ、と信じていた。
バンデアミールはまさにそのときの地球だった。湖の端から水が流れ落ち、滝を作っていた。俺は一瞬自分が天上人になった気でいた。

俺たちは少し離れた山道からその湖を見ていた。しかしふと道の左右にある砂漠のような山肌に目をやると、すぐに現実に引き戻された。比較的緩やかな山肌を見ると、少しうずたかく盛られた土の上に、てのひら大の岩が置かれていた。見渡すと、それが何百、何千とあることに気がついた。

墓だった。

内戦のときのものか、地雷によるものかは分からないが、圧倒的な数の墓に吐き気を催さずにはいられなかった。そして岩場や、その陰に、地雷の頭が出ているのを目にした。

ここは世界一美しく、世界一残酷な土地。
もしかしたらあの湖の青さは、魂が寄り集まって出来た色なのかもな、と考えていた。死は、美しいのだろうか。キャンドルアーティスト、CandleJUNE(彼もアフガニスタンへ来た事がある。アフガンでキャンドルナイトをやっていたらしい。)の言葉を思い出す。

「人は、この湖の美しさを守るために地雷を埋めたのだろうか。」

あまりにも美しいラピスラズリの湖。人はそのまがまがしささえ感じるほどの青さの前で、どれだけの赤い血を流したのだろうか。

そんなことを考えていたら、湖へと着いた。俺とマサキはボートを借り、人から見えない所まで行き、素っ裸になって泳ぎ、はしゃぎまわった。そんなことをしながらも、さっき考えていたことが頭からこびりついて離れなかった。あっという間に時は過ぎ、帰る時間になった。はしゃいで疲れ切った俺たちは車の中でぐっすりと眠りに落ちた。あっというまにバーミヤンだった。

バーミヤンに着くと夕方で、俺達は気さくで気のいいマルコポーロの店主とそのガキと遊び、今日バーミヤンに着いたという狭山市のヒロ君としゃべったりしながら、時を過ごした。

いつの間にか消灯の時間になって、横たわった。そして俺は毎晩そうするように、首輪につけたお守りを握り締め、今日無事に生きて、幸せでいられたことを神や仏や先祖や家族や友達、自分が信じるもの全てに感謝して、おやすみを言った。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

とまぁ、だいぶ長くはなってしまったけど、俺のGO for AFGHANISTANはこんなところだ。まだまだタリバンらしき軍団と遭遇しかけた話とか、バーミヤンのトイレはヤバイくらいに汚すぎて、インドがなんてきれいな国なんだと思えてしまったこととか、ホテルが爆破されてたり、銃撃戦があったり、話したいことは山ほどある。けれど、俺の今回の旅の目的はタイトル通り、アフガニスタンに「行って」見て感じることだった。だから往復路で重要なのは往路だけ。往路はここまでで、あとは順調に戻っていっただけだ。

今までこのブログを読んでくれた皆、ありがとう。
稚拙な文章だったろうし、もしかしたら不快な思いなんてのもさせたかもしれない。でも俺はできるだけ気をつけて、かつ自分の気持ちに嘘をつかないように正直に書いたつもりだ。それでも至らないところがあったら申し訳ない。帰国したら酒のつまみにでも足りないところの土産話をさせてください。

最後に、この旅でアフガンまで付き合ってくれたマサキ、どうもありがとう。電話で「アフガン行く?」「行く!!」と考えもせずに答えてくれたキミの潔さに心から脱帽し、敬意を表します。
それと、これを読んでくれている俺の友達。みんなメールくれてありがとう。「日本人死んだ」ってメール多すぎwでも嬉しかったよ。

ホントにみんなありがとう。感謝の気持ちでいっぱいです。また、日本で会いましょう。それでは。
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by g999er | 2005-09-15 20:50 | →GO for Afghanistan

~GO for AFGHANISTAN~⑨地雷との遭遇

31日は療養した。たまっていた仕事もあったので片付けた。

9/1 ジェットコースターに乗っているほうがどれだけ楽なのだろう、と思った。今、俺は世界一悪路のハイウェイと名高いアジアンハイウェイを、11人乗りのハイエースで揺れながら進んでいる。いや、転がり落ちているといったほうが正確かもしれない。今まで何度も悪路と呼ばれる道を走ってきたが、これほどまでなのは初めてだ。頭なんて天井にぶつけすぎて記憶が飛んでいきそうだ。受験生なら悲鳴ものだよ、なんて考えていた。とにかく首はムチウチだし、体はぶつけにぶつけるし。車は崖から転げ落ちそうだし。タイヤはパンクしほうだいだ。朝4時半にカブールを出て、バーミヤンに着いたのは3時半。11時間。死ねる。

とりあえず荷物を置くために宿兼レストランのマルコポーロで飯を済ませ、早速大仏観光&アルカイダの遺物、薬莢探しに向かった。

相方マサキは果敢にも、いや無謀にもどんどん道なき道を進んでいこうとする。たぶんレストランでフランス人バッパーが「大丈夫、安全だよ」なんていっているのを聞いていたからだろう。でも俺は止めた。止めに止めた。俺には分かっていたからだ。ここには必ずある、ということが。カンボジアで地雷を掘っていた時と同じ感じのすることに、俺は気づいていた。

危険な道を避け、大仏近くの村で薬莢を探した。寄ってきた少年二人に手伝ってもらう。いくつもの薬莢と爆発したRPGの弾薬らしきものを拾った。この時も、アラーム音は俺の頭の中で鳴り響いていた。

大仏もろくに見ず、薬莢を探していた。いい土産だななんて二人で話していた。マサキと一人の少年は警戒心が薄れているらしく、どんどんと前へ進んでいった。俺は危険の感じる道だけマサキに通らせないように指示していた。と、その時のことだ。

「ユウキ!」

マサキの声が聞こえた。俺は分かっていた。何も言わずにマサキのほうを見た。

「地雷。」

生きているであろう地雷だった。土にも埋もれず、むき出しにコロンと転がっていた。俺の勘は正しかった。世界遺産といえど、まだ地雷のある所なのだ。俺が地雷に触ろうとすると少年が止めた。

俺は急に誰かに呼ばれた気がして、後ろを振り返った。居ないはずの大仏が、破壊されたはずの大仏が、「帰りなさい。」といっているようだった。

俺は悪い予感がして、マサキにそれを告げ、二人で足早にその場を去った。俺の頭のアラーム音は、最大量になった。慎重に戻った。

途中警官にからまれて長い時間もめ、おまけに銃まで持ってきたりしてだいぶ危ないことにもなったが、俺にとっては些細なことだった。重要ではなかった。怖いとすら思わなかった。アラーム音はだんだんと消えていった。

街に戻ると夜はすっかり更けていて、街灯が無い道には人っ子一人いなかった。俺は自分の危険察知力の鋭さに満足して、それで頭はいっぱいだったが、同時にそれがいつか命取りになるんじゃないかと考えて、少し怖かった。そんなことを考えているうちに、無事宿に着いたのだった。
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by g999er | 2005-09-15 19:43 | →GO for Afghanistan

~GO for AFGHANISTAN~⑧いざ、アフガニスタン。(後編)

かくして、ジャパンマネーの偉大さを実感しつつ念願のアフガニスタン入国を果たした俺たちは、本日の最終目的地、首都カブールに向かった。

タクシーは快適だった。バスは遠くから少し見たが、かなりのすし詰め状態で、あれで10時間も乗ってるのは不可能だろうということで、タクシーを選んだのだ。

タクシーは快調に進んだ。山を越え、谷を越え、また山を越えているうちに夜が来た。山のてっぺんのほうまで行くと、星が近いのに気がついた。マサキが「スゲーゼ、ユウキ?」と車から身を乗り出して星を見ている。俺もつられて見てみた。

 
「あの、ここプラネタリウムですか?」



そんなことを思わず誰かに聞きたくなるような満天の星空。マサキはこの星のすごさを北海道×2、富士山×3or4と言っていた。何しろ、天の川がはっきり見えるくらいだから。もう本当にミルキーウェイ。一つ一つの星がデカイ。もしここが危険な所でなければ、車を停めてゆっくり見たかったのだが。。。

しかしそんなことは言っていられない。ここはアフガニスタン。夜の山道ほど危険な所は無いのだ。そうこうしているうちに車は峠を下りていった。もうすぐ首都カブールだということだ。

カブールに着いたのはキッカリ夜の10時半。アル中のマサキの熱烈な希望により、カブールで唯一のバーがある、ムスタファホテルに宿を決定する。俺たちは部屋に荷物を置くと、シャワーも浴びずにビールで乾杯をしにいった。この日初めて口にするのは、ビールとピザ。うまい。幸せだ。この後シャワーを浴びて、日記を書こう。手紙を書こう。などと考えていた。しかし、その幸せをぶち壊すように、事件は起きた。

たったカン一本でクラクラになったオレは、コンタクトを取り、シャワーを浴びようと共同シャワールームへ。そこでコンタクトを取っていると、急に吐き気を催した。その吐き気に耐え切れず、シャワーを断念して部屋に向かう。そう遠くない距離だ。扉の前まで行き、ポケットから鍵を取り出す。部屋の鍵は南京錠で、扉の上部に設置されている。

俺は手を伸ばした。鍵まですぐそこだ。「今日はもうこのまま寝よう」そんなことを考えたちょうどその時のことだ。手が震え始めた。うまく鍵もささらない。足にも震えが来て、立っていられなくなった。まだ正常な声帯を揺らし、声を振り絞って隣の部屋にいる、マサキを呼んだ。

ここらへんから記憶が曖昧だ。たしかマサキは「どうした?」と言って出てきて部屋の鍵を開けてくれ、俺を寝かせてくれたのだ。俺の手足はジーンとして、震えが止まらなかった。力が入らなかった。自分は死ぬのだろうと思った。(後日マサキに、『ユウキずっと、「こんなところで死にたくねぇ。」「ここは俺の死に場所じゃねぇ」って言ってたぜ』と言われ、顔から火が出るほど恥ずかしかった。)

気がつくと、外にいて、全身軍服のアメ人みたいなやつに担がれていた。彼の肩が俺の腹に当たって吐きそうになって、意識を取り戻した。すぐさま降ろしてもらうと、少しだけ歩けた。そのまま一緒についてきてくれていたマサキと軍服に肩を貸してもらい、ISAF(アイサフというアメリカの警備会社。軍服君は俺たちが泊まっていたホテルにここから派遣されていた。)の救急病院。

かくして救急病院患者Aになった俺は、マサキに助けてもらいながらまず病状を説明すると(確か「My hands and feet have gone to sleep.」「Did Udrink alchol?」「yeah,but alittle bit. only one can.」「I see」)、次にてっきり点滴やら検査やらで注射するものだと思って、「Can U use new needle for me?」と聞いて、医者が笑顔でうなづくのを見てから、診察台の上で目を閉じた。

医者に腹を触られながら、「ここで死んだら親は悲しむんだろうなぁ。でも笑えるなぁ。三面記事に出るかもな。《アフガンで邦人死亡。しかし病死。》俺なら迷わずツッこむね。」なんて考えていたら、俺の治療は終わったらしく、医者がこっちを見ていた。

そして目が合うと、クソ不味い薬を渡してきた。不味さで具合が悪化するんじゃないかってくらいに不味い薬だった。そして規定量を俺に飲ませると、笑いながら俺に言った。

 
「たいした病気じゃないよ。大丈夫。」


「あまりにも苦しすぎる状況のため、その医者のセリフを半ば信じられなかった俺は、病状を詳しく聞いた。「病名はギャザうんたら(覚えていない。)、まあ一種のsuddenな stomach problem とalchol holicだよ。」

あるこーるほりっくってアル中?まさかそんなはずあるか!!と思い信じられない思いで聞いた。「アル中?一杯しか飲んでないよ?」と言うと、「一杯でさえ、さ」と言っていた。

いまだ震える手を見つめて、信じられない思いと驚きをごったにしたような感覚で、神だか先祖だか家族だか俺を守ってくれているもの全てに感謝した。

ほっと安心しながらも、まだ手は震えていた。そのことを伝えると、さっき飲んだ薬をだして、また飲むように言った。俺は心底イヤだったので、苦そうな顔をしていると、そこはさすが相方のマサキ君。「だめだろー、飲まなきゃ」と言って俺に薬を飲ませてくれた。いや、無理矢理飲まされた。

いい笑顔をしているマサキに「これフリ?フリ?こんなまずいめし食えるか!
」とか突っ込んだ方がいいのか聞こうと思ったが、口もふさがっていてなすすべもなかった。

これで、俺の治療は終わった。ゆっくりと診察台で休み、宿へと戻った。宿でまたいい笑顔をしたマサキに例の薬を飲まされ、その不味さからか疲れからか何か分からないうちに寝てしまった。

こうして俺のアフガニスタン初日は、その字の通り、苦~い思い出になったのである。
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by g999er | 2005-09-14 21:34 | →GO for Afghanistan

~GO for AFGHANISTAN~⑦いざ、アフガニスタン。(前編)

8/30 いよいよアフガニスタン入国だ。
朝起きると、タクシーとの約束の9時を30分ほどまわっていた。急いで身支度を整え、泊まっていた安宿を出る。タクシーとの待ち合わせ場所に着いたのは11時頃のことだった。

二時間も遅れたのに、運ちゃん(あ、運転手ね)は待っていた。「I'm sorry.we're too late.」と言うと「No,problem,sir」と笑顔で返してくる。なんていい奴なんだ。さすがに中級ホテルの専属運転手(俺らはわざわざそこまで行ってこいつを捕まえた)なだけあって教育が行き届いている。対応もすごくいい。何より英語が通じるのがすばらしい。

早速タクシーに乗り込むと、向かったのはトライバルエリア(パキスタン側国境付近の部族管轄地域。パキスタンの法律が適用されず、通過するにも許可が必要)の管理警察と、ガードマンをつけるために行ったセキュリティーオフィス。簡単な手続きを済まし、問題なく出発。

さあ、いざ、アフガニスタンへ。

3時間ほどして、パキスタン国内へ逃げ込んだアフガニスタン難民のキャンプやトライバルエリアを無事通過し、国境へ。運ちゃんに金を払って握手をして別れる。最後まで親切で気持ちのいい奴だった。

パキスタン出国を簡単に済ませた俺たちは、アフガニスタンのイミグレーションへ。しかし、ここで意味の分からないことになる。

(始めに注釈をつけておくと、俺もマサキも東京のアフガニスタン大使館でビザを取得したのだが、東京のアフガン大使館の責任者だかビザ作る担当の奴だかが馬鹿すぎて、ビザが間違いだらけなのである。俺は日本にいるときにそれに気づいて二度も訂正してもらったものの、二重線で消して上書きして、しかも証明のスタンプすら押されておらず、へんちくりんなサインだけ。あたかも俺が書いたかのように不自然。マサキは不運にも気づかず、二週間のビザのはずが一週間になっていることに後で気がついた。)

案の定俺はビザを見せると、「これはお前が書いたんだろう」と言われ何故か入れなくて、マサキも同様。「ペシャワールのアフガン大使館まで戻れ。」と言われる始末。意味が分からないからとりあえず




キレといた。




もうすでにお決まりになっているけれど、「これは国際問題だ!日本はアフガニスタンをサポートしているのに、お前はなんでその日本人をサポートしないんだ!!」そして、俺は攻撃に転じた。
「いいよ、わかったよ。オッケー、通れなくてもしょうがない。はいよ。でも、




お前の名前を教えろ。




ぐだぐだ言ってないで早く教えろ。メモじゃなくて、名刺をよこせ。お前のことを日本に戻ってからアフガニスタン大使館に必ず報告してやる。それに俺のオヤジは日本政府高官だしな。必ず報告するからな。」

この言葉が一番効いた。そしていつの間にか通訳になっていた謎の仲介人は、役人と話し、俺たちにこう伝えた。

「U must not say to anyone else.Pay money,OK?」

んあだとぉ?と思わずキレそうになったが、金で解決できるものならなんぼでもしてやるぜ!ということで一人10$づつ渡し、しかも

「we donate 20$ to him for his kind.It's only gift.」(全然。んもう本当全っ然ワイロなんかじゃないから!!)

とまで書かされた。(当然、後で東京のアフガン大使館にチクるし請求するけどね。)

かくして、念願のアフガニスタン入国が叶った。ジャパンマネーは偉大だ。

(前編終わり...…後編へ続く)
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by g999er | 2005-09-13 22:47 | →GO for Afghanistan

~GO for AFGHANISTAN~⑥沈没船再始動。隠れた世界遺産へ

9時、目が覚める。シャワーを浴び、コンタクトをした。マサキを起こし、準備をすると沈没船は動きはじめた。飯を食い、世界遺産でもあるガンダーラ遺跡群のあるタキシラという小さな街へ。

タキシラに着くと、親切な紳士がリキシャをつかまえて、話してくれる。俺達が値段交渉をしているとすっと立ち去ろうとするので、「ミスター!」と言って呼び止め、「シュクリア(ありがとう)」と言う。笑って握手を求めてきたので応じる。すごくいい人だ。

リキシャと交渉した結果、博物館に行き、5つの遺跡をまわってペシャワール行きのバス停に行ってくれて二人で300RS(5ドルくらい)に落ち着いた。結構安い。

まず博物館に行き、仏陀を見る。こっちの仏陀はホリが深い。そんなことを考えながら、博物館を後にした。その後世界遺産に登録されている五つの遺跡をまわった。

遺跡自体はすごくのどかで感動こそしないものの、のんびり過ごすにはいい所だった。が、遺跡には管理人が必ずいて、俺らが遺跡を見終わるやいなやバクシーシ(喜捨。チップみたいな施しみたいなもの)を求めてくるのが非常にウザかった。

3つ目の遺跡だった。管理人は長い白髭を顎にたくわえた老人だった。俺とマサキは遺跡を見ながら、「もしこのジイサンが俺らが帰ろうとしても何も要求してこなかったらチップあげようぜ。」と話していた。

作戦は速やかに実行された。心を支配し始めていた諦めと、まだ残っている少しの期待を抱きつつ。俺たちは遺跡を見終わると、ぶつぶつと二人で話しながら、ジイサンに笑顔でお辞儀をして立ち去ろうとした。そしてジイサンの前を通り過ぎた。しかしジイサンは笑顔をくれるだけで、何も言わない。

俺たちはもうこれだけで胸がいっぱいになって、振り返ってチップを渡した。二人で20ルピーだ。全然たいした額じゃない。それなのに管理人のジイサンはひどく喜んで、胸に手を当てて感謝していた。今にも泣きそうな顔すらしていた。

俺たちはもっとチップをあげたくなるのをこらえて、笑顔で「シュクリア(ありがとう)」と言い、握手をした。そして俺たちは言った。「彼をNO1パキスタニー(パキスタン人)と任命しよう」と。

その後胸いっぱいの一行は、各所を回り、無事ペシャワール行きの夜行バスに乗り込んだ。

別日。
ペシャワール。情報収集&久しぶりのまともなネット活動。バッパー、シンゴ君とジンと宿で出会い、仲良くなる。街では帽子屋を営むアフザルと仲良くなり、甘味やお茶をおごってもらい、しまいにはターバンまでもらう。この街は何も無いけどいい街だ。人がイイ。いよいよ明日はアフガン入国だ。
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by g999er | 2005-09-07 01:12 | →GO for Afghanistan

報告

とりあえず、生きています。タリバンらしき軍団と接触しそうになったり地雷踏みそうになったり不発弾を捕らえたりしましたが、無事です。俺の強運は相当のものです。
なんとかパキスタンまで戻ってきました。メールくれた皆様どうもありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。取り急ぎ報告まで。
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by g999er | 2005-09-06 01:08 | →GO for Afghanistan

~GO for AFGHANISTAN~⑤番外・沈没編

疲れと腹痛と寝坊と美味すぎるキムさんの中華料理のため沈没@ラワールピンディ。なぜかエアコン付きの豪華な(といっても中級、一泊800円の)ホテルで沈没@ホテルBLUESKY。特に何もしてない。遊んだり、ぷらぷらしたり。

あえて言うのならクリケットが面白かった。マサキがやるのを観ながらパキスタン人らと仲良くなる。コーラをおごってもらう。

パキスタンの人達は、みんないい人。しかし公職とリキシャを除く。

パキスタンのネット事情はすごい。ホットメールを開くのに1ページ30分以上。まともに返信できない。俺のブログは結局5時間で一回しか開けず一回もログインできなかった。日本語のOS入ってるわけないじゃん!しかも


入れても動かねーし!!
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by g999er | 2005-08-30 01:41 | →GO for Afghanistan

~GO for AFGHANISTAN~③続・脱インド編!

22日の夜だ。寝台列車の中はエアコンなんて無くて十分なくらい寒かった。なにしろ、その寒さで夜中に何度も目を覚ましたくらいだ。ついにはその寒さに耐えかねて、エア・インディアから拝借してきた毛布を体に巻き付けて寝た。

朝起きて時計に目をやると、時刻は8時を少し回ったくらいだった。例によって相方のマサキはまだ寝ている。寝台の一番上からヨイショと身を乗り出して下を見ると、綺麗なサリーを着た女性とその父親らしき人が座っていた。

俺は未だ爆睡をかますマサキを尻目に下へ降り、日本から持ってきたカロリーメイトの朝食にありついた。そうこうしているうちに、国境の街アムリッツァルへ到着した。俺達はまず宿を探した。宿は入念に選んだ。コンタクトレンズ使用者の俺は、できれば室内にシャワーがあり、一人100Rsくらいでという条件で選びたかったからだ。

結局一時間半ほどリキシャを走らせ、5つ目のSUN DEWという宿に決めた。一人125Rs。激安ではないが、そこそこの値段でエアコン付き、清潔。かなりおすすめできる宿だ。

いつもならここで一休みだが、寝台のおかげで二人とも睡眠は十分。早速市内観光することに。いろんな人に出会い、聞くうちに、黄金寺院というスィク教の総本山らしき寺があることを耳にする。しかも交通費もフリーバスがありタダで行け、拝観料などもかからないとのこと。じゃあ、ということで行くことに。

実際に黄金寺院についてみると、俺達の邪な考えが恥ずかしいくらいに立派な建物、立派な場所、まさしく聖地だった。眼前に広がる東京ドームウン個分あろうかと思うほど大きな池と、その周りにそびえたつ宮殿。そしてその中心には黄金の寺院。これはすごい。いい土産だ、などと思わずひとりごちて帰ってきた。

明日はいよいよパキスタンへ。さよならインド!
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by g999er | 2005-08-23 23:39 | →GO for Afghanistan

~GO for AFGHANISTAN~②早々に立ち去れい!脱インド編

インドは今日も快晴だ。うだるような暑さに目を覚まされたのは、午前も11時を回った頃。相方マサキはまだ寝ている。

寝汗でびっしょりになった身体は、少しでも早い海への帰還を求めたが、ここはあいにく海とは無縁の街、デリー。俺はゆっくりと体を起こし、シャワールームへと向かった。

水シャワーで汗を流し、すっきりしたところでマサキを起こした。さっそく飯を食いに街へ出る。街は昨日の喧騒が嘘のように人が少ない。まるで試験期以外の早稲田大学のようである。

今日は人がすくねーな、なんて余裕をかましてラッシーを飲んでいると、ハイエナどもが寄ってくる。初インドだと言うと俺のことをカモだと思ったのか、「いい旅行会社を教えてやる」と言いはじめた。ふふ、馬鹿め。こちとら場数踏んでんだよとほくそえんだ。この男は英語が堪能らしく、信じさせようとペラペラよぅしゃべる。俺は意地が悪いので、聞こえないフリをしたり聞き返したりしながら一通り聞き終わったところで、「NO NEED」とだけ言って飯屋へと直行した。

飯屋では、羊の肉を使ったマトンカレーとナンを注文した。これがすげーうまい。香辛料の効いたスープに味の染み込んだ具と羊肉。焼きたてのナンとのアンサンブル。うまい。辛さも適度で食べやすく、満足。

こんなうまい飯を食ったら、もうデリーに未練は無い。早くパキスタン行こうぜ、という話になり、国境の街アムリッツァルへのチケットを買いにニュー・デリー駅へ。

外国人専用窓口に行き、チケットを探すと、今日の夜行があったので、ただのSLを取る。エアコン付の2Aも3Aも満席だった。怖そうに見えたイギリス人のカップルは、話しかけると実はすごくいい人達で、軽く寝台って英語で何ていうんだっけ?って軽く聞くと、いろいろ説明してくれた。お礼に写真を撮った。インド人の好青年とも仲良くなった。写真を撮るとメールで送って欲しいということなので、メアドを控える。この時にドイツから来た4人組とも話が弾む。彼らの写真も撮り、帰国したら送ることに。

駅から戻ると宿のあるメインバザールには活気が戻っていた。写真を何枚か撮る。早くも1本目のフィルムが終わる。10本のフィルムでは足りないであろうことを痛感する。

人だかりを抜け、宿に戻り、パッキング。チェックアウトを済ませ、早めの晩飯を食い、現在、イントラネッツの虜。

あと三十分もしたらデカイバックパックを背負い、21:05のニューデリー発に乗り込み、国境の街アムリッツァルへと向かいます。
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by g999er | 2005-08-22 23:19 | →GO for Afghanistan

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