Never stop exploring. Who dares wins.


by g999er

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'82年東京生まれ早大卒。小心者の見栄っ張り。臆病者の命知らず。
'04年夏、カンボジアにて完全無防備、スコップのみを使用し地雷除去を敢行。
'05年はアフガニスタンにてアルカイダとニアピン。'06年、軍艦島上陸。

アジア・中東累計約30カ国程訪問。忌野清志郎のライブ主催などイベント企画。色んなことをしながら現在都内の広告代理店勤務。

こんな本にも載ってます。
http://amzn.to/b01Jqt

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第一章 洗礼は再びに (チュニジア)

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まるでビーカーから水が溢れるかのように、自分の中から寂しさという感情がこぼれていく。

僕は、北アフリカの大地をゆっくりと食んでいた。

旅というものは大小を問わず、すべからく痛く、苦しさを伴うものだ。実に4・5年ぶりとなる一人旅でそれを改めて痛感している。旅は言い換えるならば出会いであり、出会いはつまるところ、始まりと終わりなのだ。

エリコと出会ったのは、チュニジアの首都はチュニス。空港に到着した11日、バスステーションを探している時のことだった。着いてすぐに換金を済ませた僕は、英語の通じない環境下特有のボディーランゲッジで「バスステーションはどこだ」とアラブ人に聞くと、無愛想に空港の外を指差し、首を傾げた。その指指す方角に向かうと目印も標識もあるわけではなく、ただ人だかりがあるのみだった。

「ここだろうか?」周りをきょろきょろしていると、汚いバックパックに座っている、アジア系ともフレンチともつかないような女性バッパーがいた。目が合い、まさにエクスキューズミーと問いかけようとした瞬間のことだった。

「日本の方ですか?」

思わず声を上げそうになった。「あ、はい、え、日本の方ですか?」
これが僕がチュニジアで出会った最初のバッパー、エリコだった。

エリコのことはどこまで書いていいか分からないのだが、おそらく問題ない範囲で記述すると、東京出身の24僕、性格の明るい、内面の非常に魅力的な女性だ(彼女の名誉のために書いておくと、外見ももちろん美人だ。)雰囲気はカピパラに似ている。何しか僕は彼女の先祖はげっ歯類だと思っている。アメリカやフランスに住んでいたことがあったり、数年ユーラシア横断や南米周遊などの旅に出ているせいか、英語とスペイン語とフランス語が堪能だ。今はアフリカ大陸を周遊し始めたところで、これから二年ほどかけてアフリカ大陸と中東を制覇するそうだ。

僕たちは、もちろんバッパーが大抵そうするように、自然な流れで行動をともにし、観光に赴き、ディナーを取り、互いの安宿で酒盛りをしたりした。その一連の行為は、僕にとって触れる久しぶりの「一人旅」というもので、その触感を思い出させてくれる、有意義な時間だった。またそれらは、以前アジアを周遊していたときに、旅先で出会ったフレンチやカナディアンと毎晩のように熱く夢を語り合った記憶を回想させるものだった。僕は、いつまでもこの空気に溶け、あるいはつながっていたい欲求に駆られた。しかし、現実を見ると、残されている時間は刻々と減り続けていた。

カルタゴ遺跡を観光した次の日、出会って二日後に僕たちは宿で別れを告げた。それは、お互いの進路へ向かう旅人にとってはごくごく当たり前のことだった。サハラ砂漠への拠点、南の都市トズールへと移動するバスの中で、僕は自分の輪郭が鉛筆でなぞるほど明確になっていくのを感じた。

そしてその夜、溢れ出す自分の感情を抑えることもできず、恥ずかしげもなく泣いた。それはこの瞬間、独りを痛感するがゆえに自分の輪郭が明確になり、自分の確固たる存在を感じるのが嬉しくある一方で、例え一欠けらといえそれを「嬉しい」と思ってしまう自分の歪みに、枕に歯を立てながら泣いたのだ。

まるで水道からビーカーに注がれる水がビーカーの形をなぞって溢れるように、僕自身の形は寂しさという感情になぞられていった。

こうして僕は、北アフリカの大地で再び一人旅の洗礼を受けることになった。
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# by g999er | 2010-10-18 02:24 | →2010チュニジア/モロッコ

花相似たり

僕は歩き出した。

手に握っていた石は実は氷で、僕の手の温度によってそれはみるみるうちに溶け、指の間をすり抜けていった。灼熱の太陽は僕の横顔を熱く照らしていた。

何の変哲も無い月曜日だった。世界は少し赤みがかっていて、目を細めてしまうくらいまぶしかった。まるで、洞窟の中から一年ぶりに外へ、光の下へ歩み出でたかのような、そんな気分だった。

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# by g999er | 2009-09-07 14:09 | 雑記

旅の終わり


音も無く、長きに渡った旅は終焉を告げた。
それは特段、悲しいことでも、嬉しいことでも無かった。

バンビエンのあの怠惰な岩肌のように、ただひたすら無為に、
自分の肌や自分の感覚や久しぶりに訪れる故郷の匂いを感じていた。

....続きはこちら。
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# by g999er | 2007-03-24 13:58 | →最後の行軍

最後の行軍・その四

あなたよ、あなたよ、幸せになれ。

三年前のこの日、僕は初めて海外へ旅立った。あの日、空港で食べた、生チョコのしっとりとした食感や味を、僕は今でも覚えている。「うまい」と言って、見た、君の不安そうにしつつも、しっかりと僕を見てくれていた笑顔を、僕は忘れることは出来ない。僕が今まで帰ったのは、君のその笑顔をまた見たい一心からだった。もう、あれから、三年が経った。

もう、僕には、今の現実をどうにもできない。三年前に戻れれば、、、と考えることも多いけれど、それは不可能だ。時間は巻き戻せないし、僕の気持ちはもう受け容れないだろう。だから、僕と彼女は、もう一緒に居ることは無い。それなら、愛し合うことが不可能なら、せめて僕は僕の愛がまだある間は、君を愛そう。いつまでかは分からない。期限が無いかもしれない。苦しいだけかもしれない。それでも、別に構わないと僕は思った。

あの曲が、一日中、僕の頭を流れていた。

あなたよ、あなたよ、幸せになれ。

これが、僕の、2007年のバレンタイン・デー。
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# by g999er | 2007-02-14 21:50 | →最後の行軍

最後の行軍・tibet

指の間からこぼれ落ちる砂のように、気がつくと失われたものの残骸だけが残っている。その苦さを噛み締めながら、それでもなんとか日々をやり過ごし、生きていかなければならない。

バターの香りが僕を包んでいた。眼の前では僕の体の、ゆうに五倍はあろうかという巨大な仏陀の像が、腐敗しかかった魚のような眼で、僕を見つめていた。その眼は、弱く小さい人間を慈悲深く見つめる、というよりも、弱く小さい人間、つまりは僕をこそ蔑んでいるように思えた。

僕は、チベットにいた。

小さな寺の、小さな火に惹きつけられて、僕は自分を失いながらその火の方向をじっと見つめていた。僕が僕であることに気が付いたのはそれから間もないことだったと思うのだが、頬を涙が伝っていることに気づいた。僕は、僕を蔑む眼に救いを求めた。


それから数日を経た後、世界でもっとも高く、美しいという超然たる山を前にして、僕はその時と同じ感覚に襲われた。僕はその超然とした姿を前にして僕という一個の人間が、あまりにも脆弱で、矮小であるという事実を再び突きつけられた。ただ、お前は無力だと言われていた。僕は、その場ですぐにでもひれ伏したいという自己を抑えることしかできなかった。

少なくとも僕は、その時まで、自分は平等という堅固なる土壌の上を歩き、自分という人間が、自らの持てる最大限の力をもってして築ける、最大限の城に住んでいると感じていた。それこそが、僕の人生で築いてきた唯一のものだと思っていた。                 

しかし、彼らを前にして、僕はその傲慢な考えが、単なる傲慢にすらなりえず、思い上がりとしてすら扱われていないことに気づき、打ちひしがれた。僕は、仏陀の前にも、エベレストの前にも、無力であった。この世界の大地や、大気は、僕のためではなく、彼らのために存在していた。彼らは美しく、強く、僕は、無力だった。 

チベットは、あまりに美しく、巨躯で、強く、冷酷だった。
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# by g999er | 2007-02-12 18:44 | →最後の行軍

最後の行軍・其の参 ラオス・バンビエン

それは、太陽のせいだ

さんさんと照りつける日差しの下で、僕は大きな欠伸をした。まるでワニが大きくパックリとその口を開けるように、大きく口を開けて、欠伸をした。ただ、ワニとは違って僕には、この歯を磨いてくれる鳥はいなかった。それでも僕は、何かを待つように、大きく口を開けていた。

ラオスのバンビエンに着いたのは26日の昼のことだった。バンコクからビエンチャンへのバスで出会ったイカイさんと、ビエンチャンのRDゲストハウスで出会ったカズ先生、カイくんと一緒にバスに揺られること4時間、バンビエンに到着した。

多くの田舎町がそうであるように、ここにも山と川以外に観光客を惹きつけるものは無い。あるのはその山と川をメインにしたアクティビティーと宿泊施設くらいだ。それでも、少なからず観光客がいるのは、ラオスの桂林と言われるほどの絶景と、田舎ならではの、ゆっくりと流れる時間のためだ、と僕は思った。僕もご他聞に漏れず、そのゆっくりとした時間の流れ方が気に入って、カヤッキングした次の日は、何は無くとも、一日中体を休めていた一員であった。

何もせず、何も得ず、何にも縛られず、何も怖れず、ただひたすらに無為に過ごす。僕はこのバンビエンの一日にこそ価値を見出していた。僕には、ただその時間の流れの中に身を投げているという、その事実だけで充分であった。だからこそ、僕はこの土地をひどく気に入っていた。今思えば、何も無かったからこそ、僕は自由に成り得たのだろう。何も得ようとしなければ、それはそれでいいんだろう。

しかし、それでも、僕は、口を開けて、待っていた。ただひたすらに、待っていた。
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# by g999er | 2006-12-28 20:53 | →最後の行軍

最後の行軍・其の弐

洗濯物はグルグル回っていた。ジーンズもスカートも背広も一緒に投げ込まれて。そしてそれはたまたまそこに洗濯機があったからに過ぎない。あとは、こっそり漂白剤を投げ込むだけでいいのだ。真っ白になればいいんだ。全部。

僕がバンコクに来るときはいつも、うだるような暑さが僕を苦しめ、同時に僕の顔にどうしようもない笑顔をくれる。僕はずっとそう思っていた。今回、バンコクにはもう6日もいる。でも、僕は以前ほど笑ったり、怒ったりする事は無い。それは、たった30℃という低い気温のせいだけだとは、どうあがいても考えられなかった。

朝、目を覚まし冷たいシャワーを浴びて着替え、シェークとパッタイを買い、道端に座って食べ、一服する。これがカオサンでの僕の朝の日課だ。1ドル弱という安いタバコから吐き出した煙は、粗悪な匂いに似つかわしく、粗悪な態で流れていく。僕はその煙を目で追いながら、倦怠感に満ちたカオサンの一部になっている自分をせせら笑って、ホコリのついた尻をはたいて立った。そんな僕の頭では、エレカシの「風に吹かれて」が流れていた。

風に吹かれて は、ネットカフェに着いても鳴り止まなかった。このリフレインを誰か止めてくれないか。言葉にならない言葉を口でつぶやいていると、本当に偶然に、嬉しいことが起こった。以前電話したけど繋がらなかった人から返信があったのだ。僕はその人に電話して、声を聞いた。ほんの五分かそこいらの出来事だった。それだけだった。愛していると言ったわけでも、やはり好きだと言われたわけでもなかった。僕達の関係は何でもなかった。でも、それだけで、充分だった。僕には、それだけで、充分すぎるほど充分だった。

いつの間にか、頭の中の音楽は鳴り止んでいた。
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# by g999er | 2006-12-23 19:35 | →最後の行軍

最後の行軍・其の壱 12/17

そこに君がいた。君がいたから僕がいた。僕がいたから、君がいた。


鳴り止まない鐘を背に、僕は最後の行軍への扉を、ゆっくりと開けた。陸を離れる飛行機の中で、もう日本に帰れないことを覚悟すると、深い悲しみと、この上ない喪失感を感じた。そして、後悔を噛みしめた。

バンコクへ着いたのは夜中の1時半頃(現地時間)だった。空港は新設され、三年前に来た頃とは何もかもが違っているようだった。僕はバスを乗り継ぐためにバスターミナルへ行くことにした。

バスの中で、大分に住む韓国人、サンウと出会った。彼は日本語がうまくて、僕は途中まで在日朝鮮人なのかと思っていたほどだ。聞くと、もう六年間日本に住んでいるということだ。大分大学院在学の32歳。実際より若く見える。六年間日本に住んでいるという言葉を疑っても、それは無理の無いことだろう。サンウは、とてもフレンドリーで、優しく、いつも笑っている気さくなやつだ。彼も同様のことを僕に対して言ったが、僕の歩き方を見て「君は自信に満ち溢れているようだ」と言った。心の中で、僕は苦笑いをして言った。僕はどこでもチンピラで、虚勢を張ることしか知らないクズだ、と。彼は僕の微妙な表情から多くのことを察してくれたようだった。(ちなみに余談だが、彼は元・軍の幹部だったそうだ。僕の周りはいつだって、どこだって、男臭いヤツが多い。)

話を戻そう。四時頃カオサンに着くと、定宿にしているPCはおろか、他の安いゲストハウスは何処も満室だった。仕方なくカオサンをブラブラしていると、サンウが韓国語で一人の若者に声をかけた。同様に、サンウは道端にいた他の宿無しの韓国人にも話しかけ、僕達のパーティーは一気に六人に膨れ上がった。後に聞いてびっくりしたのだが、韓国人は、若い頃に必ず一年以上の旅に出るのだそうだ。だから、皆旅先で同胞に会うとすぐに打ち解ける術を持っていて、会ったすぐそばからまるで旧知の仲のような付き合い方をする。僕はその考えをひどく気に入って、仲間に入れてもらうことにした。というより、実は既にもうそうなっていたのだが。男はサンウ、タイガー、ムーン、女はミンとオー・ジン。皆その晩出会った仲間達を気に入って、僕達は一緒に行動することにした。といっても、宵も宵、既に朝五時を回っていたから、どうせなら、ということで朝まで路上で飲み明かすことにした。それから、僕の知っている安宿が空くのを皆で待つことにした。

僕はそれで、心の中のどうしようもない空虚さを、少しでも紛らわせたいと思った。
それが、ぼくの2006年、12月17日の夜、最後の行軍の始まりだった。
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# by g999er | 2006-12-20 18:47 | →最後の行軍

最後の行軍・序

本日夕方6時に成田を発ちます。

テーマは沢木のこの言葉。

「人のためにもならず、学問の進歩に役立つわけでもなく、真実をきわめることもなく、記録を作るためのものでもなく、血湧き肉躍る冒険大活劇でもなく、まるで何の意味もなく、誰にでも可能で、しかし、およそ酔狂な奴でなくてはしそうにないことを、やりたかったのだ」

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# by g999er | 2006-12-17 04:06 | →最後の行軍

終戦

昼の一時を少し回ってテレビを点け、NHKにチャンネルを合わせた。高校生かぁ、なんて一緒にバイトに入っていたマサキやテツと言葉を交わして、あまり気乗りもせず、テレビ画面に目を向けていた。一昨日のことだ。

ぼくがこれまであまり本気で早実を応援しようと思わなかったのは、ぼく自身がどちらかというと、というより大分、気持ちの表面に出ている分かりやすいプレーを好む性格で、サイボーグ集団のような早実より、どうしても駒大苫小牧を応援してしまう気がしたからだった。それでも早実に勝って欲しいと思い直しテレビを向いたのは、愛校心云々よりも、ただ単に「早稲田の栄光」が聞きたかっただけなんだと思う。

僕は浪人時代の一年間、毎日休むことなく始発電車で予備校に行き、終電で帰るという頭の悪いことをしていた。当時朝の弱い僕の目を、毎朝パッと目覚めさせてくれていたのは、出身高校の、校歌・第四応援歌・凱歌、早稲田の校歌とかいっぱいあったけど、中でも一番の頻度でかけていたのが他ならぬ「早稲田の栄光」だった。

そんな過去もあってか、僕にとって「早稲田の栄光」は特別なものになってしまった。「早稲田ラブ」とか言っているくせに早稲田の栄光をそらで歌えないヤツは、心から死んで欲しいと思う。僕は軽薄なヤツは心底嫌いだし、平気な顔をしてその自分の軽薄さをさらせる人間はもっと嫌いだからだ。

そんなことを考えていると、ぼくは急に眠くなって、苫小牧のホームランを見逃してしまった。「あっ」と言った瞬間に打球はセンターを超えていた。

実は昨日で、僕は長かったカンヅメアルバイト生活が終わりを告げた。9日夜から21日の朝まで、ずっと泊り込みだったバイト。ここ12日間の内、24時間勤務×7日と15時間勤務×4日、中休み一日、10日ちょっとで20万近く、と鬼のように稼ぎまくった。

バイトが終わってやっと身体が休まったところで、この数日間を振り返ってみて、僕は、この数日間体に鞭打って稼いだ金を、これから少しずつ、自分の目的のために使っていくことを誓った。なぜならば、ただ単に稼ぎ、それに比例して使う金が増えていくという、目的の無い経済拡大のサイクルは、学生時代に働く意味が皆無だからだ。そして何よりも、あの球児たちが過ごした夏の時間よりも、俺の過ごした夏の時間が劣ってしまうのがイヤだったからだ。

そうして少し心地のいい決心をすると、昨日は見なかった甲子園の始まりのあの音が、僕の胸の中で、なぜか鳴り始めていた。
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# by g999er | 2006-08-21 02:31 | 雑記

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